憲法について考える・その2~自民党改憲草案を読みながら後篇~

この文章は、
「憲法について考える・その1~自民党の憲法改正草案を読みながら前篇~」の続きです。
その1は、憲法前文から9条までについて、
その2はそれ以降のことを考えて行きます。

お付き合い下さる場合は、
上記リンク先の「はじめに」と
「春風的憲法についての理解」を読んでいただいた上で、
以下にお進み下さい。

また、自民党の「憲法改正草案」とそのQ&Aについてはこちらで。

この文章を、真珠湾攻撃が行われた12月8日の前日にここにアップする、
ということにも、何かの因縁を感じてしまいます。
天賦人権説
日本国憲法の第3章として、「国民の権利及び義務」という章があります。改正草案のQ&Aの中では、この章に先立って、天賦人権説(天賦人権論とも)についての記述があります。実はQ&Aの総論部分でも触れられていましたが、どういうわけか、自民党は天賦人権説が目障りで仕方が無い、というような様子です。

天賦人権説というのは、簡単に言うと、人は生まれながらにして自由で平等であり、個人の固有の権利として、幸福を追求する権利を持っているというような感じのものです。
つまり、国からわざわざ認められなくても、人として当然尊重される、というわけです。奴隷とか家畜のように扱われるなんてありえない、というような。

現行憲法の11条は、
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

一方で改正草案の11条は、
国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

同じような文章のように見えても、どうやら違うような感じもします。現行憲法の「基本的人権の享有を妨げられない」と、改正草案の「基本的人権を享有する」ということのニュアンスの違いは、前者は生まれながらに持っている権利を当然妨げられることはない、ということで、後者は基本的人権は享有するけど制限されることはある、という意味を含んでいるような気がします。
(後述する「公共の福祉」とセットになって)

更に、どういうわけか改正草案では、「現在および将来の国民に与へられる」という部分が削除されています。
どういうわけか、と書きましたが、天賦人権説に立たないと言うことは、そういうことなんでしょうね、きっと。

公共の福祉
現行憲法には「公共の福祉」という言葉が頻出します。それもこの日本国憲法第三章から。
憲法を学校で習うようになる小学校高学年とか中学生の頃から、分かったようで分からない、だけどよく聞く法律用語のトップクラスかもしれません。

改正草案では、この「公共の福祉」という言葉が曖昧で分かりにくい、という理由で、「公益及び公の秩序」と変更されています。Q&Aによると、これによって「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」と明らかにした、と書かれています。

つまり、現行憲法での一般的な解釈として、基本的人権が制約されるのは、原則として人権相互の衝突が起きる場合だけです。
知る権利や表現の自由がプライバシー権を侵害する場合があります。そんな時は、どちらの権利も尊重される、と言っているわけにはいかないので、色々とバランスを考えた上でどちらかが制約されるのは仕方がありません。でも、基本的にはそういう場合にしか現行憲法では基本的人権は制限されません。

改正草案では、それ以外にも基本的人権を制限する範囲を広げる、ということをQ&Aで明記しているということになるのです。

で、どこまで制限するかは「公益及び公の秩序」の範囲ですから、どこまででも言えそうな気がします。明治憲法下の「法律の留保」付きの人権保障と変わらなくなってしまいます。そこが、天賦人権説批判と合わせてこの「公益及び公の秩序」の恐ろしいところ。

そもそも「公共の福祉」という曖昧な言葉が憲法でなぜ使われるかと言えば、言葉の意味の幅が広ければ広い程、憲法が成立した時には存在しなかった新たな概念に対応できるからです。
そして国民の権利を守る立場にある憲法の性格上、幅広く意味を取れる言葉と言うのは、政府にとっては厄介なのです。

奴隷的拘束
ツイッター上でつぶやかれているのを見て、改正草案と現行憲法を見比べて驚いたのが、 憲法18条です。

現行憲法では、
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

改正草案では、
何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
2.何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


現行憲法における「いかなる奴隷的拘束も受けない」という表現が、改正草案では消えています。現行憲法では戦争を放棄して戦力の不保持を宣言している以上、そりゃ当然に徴兵制度の規定自体が存在しません。
それに加えてこの「奴隷的拘束を受けない」という文言によって、徴兵制は憲法に違反する、という答えが導き出されるようです。

改正草案ではその文言が別の言葉に置き換わっているので、徴兵制をできる制度作りの準備か!?なんて思ってちょっと考えていました。

でも、「その意に反すると否とにかかわらず、社会的または経済的関係において身体を拘束されない」という言葉をよく考えてみると、これだけでは徴兵制を肯定することにもならないかな?なんていう風にも思えてきます。
徴兵されるということは社会的に身体を拘束される、とも取れるし。とても気になるところですが、この点Q&Aは沈黙しています。

しかしながら、これを逆に考えると、現行憲法が再びこの国を戦争の方向に持って行かないように、9条だけではなく、重層的に戦争の可能性を排除しようとしている、と捉える事ができます。

表現の自由
現行憲法21条は、有名な表現の自由に関する条文です。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

改正草案では、これに第2項が新設されます。

2.前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

これをわざわざ新設した理由は何だろうか?と思うのです。
というのも、そもそも公共の福祉に反することであり、誰かの権利を侵害する目的で行動を起こすことは、当然憲法にも法律にも認められることではないように思います。
それでも、憲法上は、人が心の中で何を思おうとも(たとえ「あいつを殺したい」と思っても)、それを表に出さない限りは拘束されたりすることはありません。

だから、オウム真理教のような組織が生まれたとしても、それが事件を起こすまでは規制するわけにはいかなかったのではありますが、未然に防ぐことを許すということは、権力を持った人たちの恣意的な行動を許す、ということにもつながりかねない怖さがあります。

そして、憲法と言うのはそもそも政府を縛るためのものですから、この条文は政府が勝手な理由をつけて国民を束縛することが憲法に反しない、というお墨付きを与えてしまうことになるでしょう。

憲法改正
条文が一気に飛んでしまいますが、改正草案の中で気になる部分が最後に潜んでいます。

改正草案100条
この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

現行憲法96条
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

現行憲法では、憲法改正には総議員の三分の二以上の賛成が必要で、その後国民の承認を得る必要があるのですが、改正草案では総議員の過半数で良いとされています。

憲法改正の為のハードルを下げるのは、現行憲法が「世界的に見ても、改正しにくい」からだそうで、「国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう」とQ&Aには書かれています。

それはどうもおかしな話のように思います。
そもそも国会議員を選ぶのは主権者である国民なのですから、選ばれた人達の中で三分の二を超える合意ができてから、改めて国民に判断を仰ぐ、という現行憲法の考え方は、憲法の性質上、慎重の上にも慎重を重ねるということで理解できます。

むしろ、多様な意見を集約できる程に議論を重ねることが必要な問題で、仮に自民党が与党になってこのような改正を行おうとした時に、じっくりと考える為にはハードルの高さは重要なことです。

更に、うっかり改正された後に、自民党が退場して更にうっかり極右政党ができてしまった時、もううっかりでは済まされない事態が到来します。

だからこそ、ここは厳格に要件を設定して、更に個別の条文ごとに改正手続きを経る、というような慎重さが必要だと思っています。

最高法規
この改正草案の最後に最も驚いたのは、現行憲法の97条が丸ごと削除されていたことです。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

これが改正草案にはありません。

基本的人権という概念が、長い時間と努力を重ねて確立されたものであることを、そのまま否定し去るというのは、天賦人権説を否定しているこの改正草案を考えると、当然のことなのかもしれません。

また、この文章の冒頭の「天賦人権説」のところで取り上げた現行憲法11条の条文と、この97条が酷似する文章であり、重複を避けるために削除した、という指摘もあります。

しかしながら、人類の多年の努力の結果得られた基本的人権を、現在だけではなく将来の国民に対しても永久の権利として残す、という決意を、憲法の最高法規性を掲げるこの章に置くことは、それだけでも意味あることのように思います。
この改正草案が97条を削除し、11条においても「現在および将来の国民に与へられる」という部分を削除する、という姿勢に、自民党の未来に対する向き合い方が表れている気がするのです。

憲法尊重義務
改正草案102条に「憲法尊重擁護義務」というものが付け加えられています。

全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

改正草案のQ&Aの、Q.39には、「この規定は、飽くまで訓示規定であり、具体的な効果があるわけではありません。」と書かれています。
ですが、最初にも書いた通り、そもそも憲法は国民ではなく政府を規制するためのものです。そこにわざわざ国民の義務を明示する必要はないように思います。

更に第2項で、
国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

としています。
同じくQ&Aの、Q.39によると、「公務員の場合は、国民としての憲法尊重義務に加えて、「憲法擁護義務」、すなわち、「憲法の規定が守られない事態に対して、積極的に対抗する義務」も求めています。」としています。

解釈として最も恐ろしいことは、政府(公務員)が自ら憲法を盾に取って、国民の権利を侵害することができる点です。
具体的には、憲法の解釈に従って日本が戦争に参加する時に、その戦争が嫌だ、という国民に「積極的に対抗する義務」が発生するのです。

最初に改正憲法とそのQ&Aを読みとおした時にうっかり読み落としてしまいましたが、最後に巨大な罠のようなものが立て続けに仕掛けられているように感じました。

現行憲法が憲法の至る所で、再び戦争に至らないよう重層的に施した封印を、改憲草案は一つ一つこじ開けていこうとしているように読み取れてしまいます。

最後に
これまでも述べてきましたが、僕個人としては、憲法は高々とした理想を掲げ、国民がそれに一歩でも近づけるような努力の指針となるものであってほしいと考えています。

それを「ユートピア的発想だ」と笑うことは簡単です。それでも、そこに向けての努力を人間は続けるべきだと思うのです。現実の中で紆余曲折を経るとしても、方向だけは見失うまいとする時に、常に遠くで輝く灯台のようであってほしいと思います。

そういう意味では、日本国憲法は時代遅れの憲法などではなく、むしろ100年早く生まれた未来の憲法というような気もします。

現行憲法の制定から60年を過ぎてもなお、その憲法を超える魅力を自民党の改正草案からは感じることができませんでした。

時間をかけて現行憲法を読み返すことができたのは、自分にとって大きな収穫だったと思います。

読む人によって感じることは違うと思いますが、それぞれの憲法論というか、憲法についての感じ方考え方を、日本人一人一人が持つようになればいいな、と思います。

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春風~はるかぜ~

Author:春風~はるかぜ~
春風珈琲。コーヒー好き。コーヒーが生まれる場所を見たくてエクアドルのコーヒー生産者に会いに行き、ご近所の生産者のことが気になり始める。フェアトレードって途上国だけのことなのか。色んなところでコーヒーを淹れて、ゆるやかな時間を作ります。出会った人達の商品を紹介中。歴史と京都と町家も好きで、今熊野で町家暮らし。

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