憲法について考える・その1~自民党改憲草案を読みながら前篇~

突然の解散総選挙から、原発やTPP、消費税が取りざたされる中、
憲法のことも大事なんじゃないかな?と思ったりしています。

そこで、自民党の憲法改正草案とそのQ&Aを読みながら、
ちょっと憲法について、僕なりに感じたり考えたりすることを書いておこうと思います。

はじめに
まずはじめにお断りをしておくと、僕は法学者でも法律関係の仕事をしてるのでもなく、ただ大学で法律を学んだことがある程度の知識の持ち主であり、コーヒーを淹れたりイベントを作ったりしているような自営業者です。
(文中「春風」という単語が出てきた時は、それは僕の自営業者としての屋号です)

だから、これから書くことは自民党による「憲法改正草案」とそのQ&Aに対する、僕なりの感想であり、法解釈的に正しいのかどうなのか、世の中の人の考えている事と近いのか遠いのか、そんなことは考慮していません。
(※自民党の「憲法改正草案」とそのQ&Aについてはこちらで。)

でも、ごくごく一般的な知識を持った市民が、自分の頭で考えて、自分なりに判断し行動する、ということこそ、民主主義社会では大切なことであろうと思い、自分なりの考えをここに書き残すことにしました。

読んで下さった方の中で異論反論ある方がいらっしゃれば、ご批判頂く代わりにご自身のお考えをそれぞれの場所から発信して頂ければ、この国に民主主義が根付くきっかけになるのかなあ、と思います。

そして、自民党の憲法改正草案について意見をしようとしている僕は、別に共産党や社民党の支持者であったり、どこかの政党や宗教を支持するわけではありません。護憲派と呼ばれる人たちや反原発を掲げる人たちの考えに共感するところもありますが、共感しないところもありますので、あくまでも僕個人の見解を述べるだけです。

春風的憲法についての理解
「はじめに」でも書きましたが、この項は僕なりの憲法についての考え方を、自民党の憲法改正草案と照らし合わせて表現します。

そして、そもそも僕が憲法の存在とその在り方について考えていることは、ごくごくありふれた、憲法というものが法律の上位概念として生まれた経緯を踏まえています。
・憲法は政府を規制するものであって、国民を束縛するものではない。
・憲法の文言が曖昧であるのは、国民の権利を広く解釈するための措置である。
・憲法は国民の権利について明記しても、義務は最小限に止める方が良い。
・国民の権利を制限する行為に関しては、憲法ではなく法律で対応する。
春風の想い
・憲法は改正してはならないものではないが、改正の際は慎重に時間をかける必要がある。
・できることなら条文一つずつ時間をかけて改正の議論をする。
・日本国憲法は押し付け憲法であるという立場に僕は立っていません。

というようなことを踏まえ、自民党の憲法改正草案の中で気になる部分を考えたいと思います。
※※以後現在の日本国憲法を「現行憲法」、
自民党の憲法改正草案を「改正草案」と表記したいと思います。

憲法前文
改正草案では、現行憲法の前文を全面的に書き換えています。
理由の一つには、憲法の三大原則である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」のうち、「基本的人権の尊重」について明記されていないから、とあります。しかしこれは、現行憲法の前文を一読すれば、文言としては明記されていなくても、当然読み取れるものではないか、と思われます。

現行憲法は、国際社会において名誉ある地位を占めるために、我々国民が不断の努力をすることによって高々とした理想を追求しようという想いに満ちています。その点において、改正草案よりも遥かに格調高く、自分を含む日本国民は、現行憲法制定から半世紀以上を経て、果たしてこの理想に近づくことができただろうか、と反省させられます。

改正草案のQ&Aに書かれているような「ユートピア的発想」ではないと僕は考えています。
もしもこれをユートピア的な発想だというのであれば、戦後半世紀にわたって政権を担当してきた自民党の外交政策上の怠慢と、我々国民が、現行憲法が掲げる理想に向かって努力を怠った結果かもしれません。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

と宣言し、なおかつ戦争を放棄した以上は、その制約の中でどれ程の努力をしてきたか、ということを振り返るために、憲法前文は常に高々と理想の旗を掲げていて欲しいと思っています。

国旗および国歌
改正草案第3条で、国旗及び国歌についての規定がなされています。国旗が日章旗で国歌が君が代であることについては、個人的には反対ではありません。しかしながら、これを憲法で規定した上で、3条2項で

日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

と規定することが必要だとは思っていません。

憲法によって国民に義務を課すことは最低限にする必要があると思うからです。憲法によって許されていることで、今後いかなる不利益が国民に及ぶか、予測できないところがあります。
思想および良心の自由が保障されている以上は、国旗や国歌を尊重したくないな、と思うこと自体は自由なはずです。

戦争の放棄
多くの人にとって憲法改正論議の中で最も有名な部分が憲法9条問題ではないでしょうか。
改正草案では、自衛権について明確に肯定しています。
そして、「国防軍」についての項目を新設し、明記しています。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

というのが現行憲法第9条です。

戦争の放棄と戦力の不保持、そして交戦権を認めないということは確かに世界的に見ても大変な規定です。
でも、実際問題自衛隊が存在し、彼等はどう考えても陸海空軍と呼べる組織です。そこに様々な憲法解釈があって、あり過ぎてここでは紹介できない位です。

僕が学校で習った程度の知識で言うと、9条2項の冒頭に、「前項の目的を達するため」という文言を加えたことによって、自衛のための戦力の保持は憲法違反にならない、ということになったそうです。(ものすごくざっくりですが、この文言の追加が「芦田修正」と呼ばれるものだとか)

個人的には、理想と現実のはざまに立った政治家の、ぎりぎりの選択だったと思います。これによってとりあえずは自分達の身を緊急避難的に守ることはできそうです。しかしながら、この条文では、自衛権は放棄していないけれど、集団的自衛権までは認めていない、ということになりそうです。
(集団的自衛権:同盟国が攻撃されたら自国を攻撃されたものとみなして一緒になって反撃する、という自衛権を拡大させたようなものです、いい加減な説明ですが。)

僕としては、その辺のぎりぎり現実的な解釈ができる現行憲法がいいな、と思うのですが、自民党の人たちは、その辺が気に入らないのかなあ。
Q&Aでは、国連憲章でも集団的自衛権は認められている、と主張されていますが、国連憲章よりも高い理想の下に我が国は戦争と向き合います、と宣言した方が「平和主義」という理念にかなうと思うのです。

余談ですが、この憲法9条を今は守ろうと頑張っている共産党、憲法制定時は「戦力の不保持」ということに反対だったそうです。時代は変わるものですね。

国防軍
改正草案の第9条のニの中で、色々と国防軍についての記述があります。
その中に、「審判所」という軍事裁判所を置くことが明記されています。これって単純に憲法違反じゃないかな、と思います。現行憲法でも改正草案でも第76条の中で、「特別裁判所は設置することができない」という趣旨のことが書かれています。
軍事裁判所は特別裁判所の代表的なものだと教わった記憶があるのですが、改正草案を作る時には話題にはならなかったのでしょうか。

そして、第9条の三として、「領土等の保全等」という項目があります。

国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海、及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

解釈のしようによっては、どうも恐ろしい条文だと思います。

「国民と協力して」と政府が言う時に、個人と政府の力関係上対等な話し合いができるのでしょうか。
「この緊急事態に嫌だというのか、この非国民め」
という雰囲気を作り出して「協力」させる、という筋書きが目に浮かぶのは僕だけではないと思います。

何度でも書きますが、憲法上での権利の制限は、救済方法があまりにも狭く限られてしまう以上、少なければ少ない程良いと考えます。


思いがけずに長文となったので、憲法9条までのこの文章をその1として、
分割しておこうと思います。
その2に続く。


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春風~はるかぜ~

Author:春風~はるかぜ~
春風珈琲。コーヒー好き。コーヒーが生まれる場所を見たくてエクアドルのコーヒー生産者に会いに行き、ご近所の生産者のことが気になり始める。フェアトレードって途上国だけのことなのか。色んなところでコーヒーを淹れて、ゆるやかな時間を作ります。出会った人達の商品を紹介中。歴史と京都と町家も好きで、今熊野で町家暮らし。

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